■著名人インタビュー
「ミュージカル界のプリンス」と呼ばれる井上芳雄さんは、最近は舞台だけではなく、ドラマからバラエティーまで活動の幅を広げています。夢を叶えていくための最初の一歩は、東京藝術大学に進んだことが「チャンスをものにするきっかけになった」と振り返ります。華やかな世界は才能が支配するものだと思われがちですが、意外にも「それだけでは夢はかなわない」と言います。井上さんを今の活躍に導いたものは何なのか、朝日新聞「Thinkキャンパス」の平岡妙子編集長が聞きました。
両親の言葉で大学受験を決意
――ミュージカル俳優を目指したきっかけを教えてください。
両親がクリスチャンだったので、おなかの中にいるときから賛美歌を聞いて育ちました。聖歌隊にも入っていて、歌は好きと思うよりも先に、得意という意識があったと思います。
小学5年生のときに劇団四季の「キャッツ」を見て感動し、自分もあの舞台に上がりたい、歌を歌いたいと思ったことがきっかけです。
――中学2年の時にミュージカルの本場であるアメリカに留学したんですね。
それは父の仕事の都合で、僕は別に行きたくなかったんです。ブロードウェーにも行きましたが、当時はその舞台の本当のすごさもわかっていませんでした。でも刺激はしっかり受けて、「日本に戻ったらすぐにレッスンを始めよう。でないとこの人たちには追いつけない」と強く思いました。
――帰国して、東京藝術大学へ進学しました。志望校はどのように決めたのですか。
高校を卒業したらすぐ舞台に立ちたかったのですが、親から「大学という場所で4年間を過ごしてみてほしい」と言われました。父が大学教授だったこともあり、好きなことを学べる時間は大切なものだと考えていたのでしょう。それなら、得意な歌を学んで究めたいと思いました。石丸幹二さんなど、劇団四季の憧れの人が多く通っていたことから、東京藝大の声楽科がいいなと思うようになりました。
――東京藝大は狭き門ですが、不安はありませんでしたか。
だめだろうと思っていたこともありました。当初習っていた声楽の先生からは、「東京藝大は天才が行くところ。あなたには無理だと思う」と言われていました。僕自身も「そうか。まあ、自分は天才とまでは言えないもんな」と思っていました。
ところがその後、東京藝大出身の別の先生に師事したら、「頑張ってみようよ」と言ってくれたのです。ほかの大学と併願するつもりでしたが、「それもやめて一本に絞りましょう」と。そして「自分に教えられることはすべて教えるから」と励ましてくれました。おかげで現役で合格することができました。
努力が通用しない「不公平な世界」
――合格を決めたものは何だったと思いますか。
入試では、歌だけでなく、学科試験やピアノの技量など、さまざまな要素を求められます。僕はそれらのバランスがよかったのだと思います。あとは伸びしろを見てもらえたことかな。テノールの声帯は35歳ぐらいにならないと完成しないといわれているので。でも、なぜ受かったのかは本当のところ、自分でもわからないことが多いんです。歌の場合は、持っている声帯がすべてです。その意味では、努力や根性が通用しない、不公平な世界だとは思いますね。全力は尽くしたうえで、運もあったと思います。
――「天才が行くところ」と言われた大学に入ってみて、実際の印象はどうでしたか。
歌は得意だと思っていましたが、大学にはもっともっとうまい人、すごいことをなんの努力もなくやってのける人たちがいました。到底かなわないと感じましたね。ただ、僕が目指しているのはミュージカル俳優であって、オペラをやりたいわけではなかった。いわば土俵が違ったので、すごい才能を目にしても、劣等感を抱いたり焦ったりしなくてすみました。本を読んだり、友達と遊びに行ったり、純粋に学生生活を楽しみましたね。
――特に印象深かった学びや、役に立ったことはありますか。
大学3年次にミュージカルデビューしたので、正直、大学ではあまり多くを学んでいないんじゃないかと思います(笑)。夏休みにひとり暮らしの部屋に3日間ぐらい引きこもって、「俺が一歩も外に出なくても社会は回る。何の役にも立っていない」などと考えていたこともありました。
「才能」だけで夢はかなえられない
――とはいえ、やはり大学に行ったことは強みになりますし、得るものも多い環境だったのではないでしょうか。
そうですね。僕はコネも何もなかったので、いやらしい言い方かもしれませんが、やはり「東京藝大」というのは大きなアピールポイントになると考えていました。また、中学時代からいろいろなことに取り組んで、自分の売りや強みを作り、チャンスをものにするための条件や武器も周到にそろえてきたつもりです。
だからこそ、授業で演出家の小池修一郎先生に出会った幸運を生かせました。先生から「オーディションを受けてみない?」と言っていただいて、テノールの友達と何人かで受けました。歌に加えて長くダンスをやっていたことで、役をつかめたのだと思います。
――2000年のミュージカル「エリザベート」のルドルフ役への抜擢ですね。それまでの積み重ねや幸運もあるでしょうが、やはり井上さんには「才能」があったのではないですか。
確かに歌は物心ついた時から歌えたし、練習しなくてもほめられていました。ただ、ここ数年で気づいたのは、ひとつの才能があったとしても、それだけですべてがうまくいくわけではないということです。「才能で夢をかなえた」と見られることが多い僕ですが、やっぱり夢をかなえるものはそれだけではないと感じています。
ミュージカルの場合は、歌だけでなくお芝居やダンスなど、いろいろなスキルが求められます。やりたいことをきちんと表現するには、才能だけでなく技術が必要。その技術を磨くにはどうしたらよいのか、論理的に考えていかなければならない。経験して、失敗して、うまくいったことから学ぶ。その発見の繰り返しです。
それからもうひとつ気づいたのは、「好きであること」と「才能や適性があること」は別だということ。僕はミュージカルが大好きなので、歌が得意だったことはラッキーでしたが、自分の好きなことに適性がないと絶望してしまいがちです。でも、本当はみんないろんな才能があるはず。「好き」と「適性」が合致しなくても、自分の中の別の才能に出合っていけたらいいと思います。
――大学受験に際して、「やりたいこと」や「適性」に悩む人も多くいます。受験生へのアドバイスをお願いします。
自分では思ってもみない方向へ進むのが人生なので、大学選びの時点でやりたいことが見つかっていなくても、まったく問題ないと思います。4年間で見つければいいし、見つかったと思っても、まだまだ未来はどうなるかわかりません。僕の声楽科時代の友達も、みんなが歌い続けているわけではありません。いろんな可能性がある時代、「こうじゃなきゃいけない」なんて思わなくていい。焦る必要はないと思いますよ。
>>【後編】「45歳、学んでも学んでも油断する隙がない」 俳優・井上芳雄さんが語る仕事論&子育て論
<プロフィル>
井上芳雄(いのうえ・よしお)/1979年生まれ、福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。2000年にミュージカル「エリザベート」皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、高い歌唱力と存在感で数々のミュージカルや舞台の主演を務める。コンサートの開催、映画やドラマ、音楽・バラエティー番組への出演のほか、近年ではMCを務めるなど活動の場をさらに広げている。
(文=鈴木絢子 写真=グランアーツ提供)
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