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世界で初めてクロマグロの完全養殖を実現した近畿大学が、2025年10月、今度は「白身のトロ」とも評される高級魚ノドグロ(標準和名:アカムツ)の完全養殖に成功しました。ノドグロは生態がよくわからず、採卵から苦労が続き、研究には10年の歳月が必要でした。さらに、実験場が能登半島地震で被害を受ける困難もありました。どうやってノドグロの完全養殖が成功したのか、近畿大学水産研究所所長の家戸(かと)敬太郎教授に聞きました。(写真=家戸敬太郎教授、近畿大学提供)
海を耕し、魚を養殖する
近畿大学水産研究所は、2002年にクロマグロの完全養殖を世界で初めて成功させたことで知られていますが、研究所の歴史は終戦直後にまでさかのぼります。当時、全国各地の漁港の漁獲高が大幅に落ち込んでいることを知った近畿大学初代総長の世耕弘一氏が、日本をぐるりと囲む海を「畑」と捉え、「海を耕す」という理念を掲げて魚の養殖を試みたことから始まりました。
1948年に、和歌山県白浜町長の協力を得て、近畿大学の前身である大阪理工科大学の白浜臨海研究所(後の水産研究所)ができて以来、水産資源の自給を目標に、海水魚の養殖漁業に取り組み続けています。完全養殖は、人工孵化(ふか)させた稚魚を親魚に育て、その親魚から採卵・受精させて再び稚魚を育てる、というライフサイクルを、すべて人間が管理した環境下で行うものです。

生態がよくわからない魚
ノドグロは北陸や山陰地方の名物として知られ、漁ができる期間が限られている高級魚です。水産研究所でノドグロの研究を始めたのは2015年で、完全養殖を達成するまでに10年もの歳月がかかりました。
25年4月に水産研究所所長に就任した家戸敬太郎教授は、こう話します。
「ノドグロは水深80〜150メートルに生息する魚で、生態がわからない部分も多いです。完全養殖をするには、まず採卵し、それを人工孵化させて成魚に育てる必要がありますが、大変なことの連続でした」
採卵のためには、まず卵を持つメスのノドグロを捕り、卵を取り出す必要がありますが、当初はメスが産卵する時期や時間帯すらわかりませんでした。
「新潟県糸魚川市の漁師さんが協力してくれることになり、漁船に乗せてもらいましたが、ノドグロを引き揚げても卵がほとんど採れませんでした。そこで、わざわざ採卵のために漁とは時間をずらして船を出してもらうことで、ようやく卵を確保できました」

困難が続いたうえに、能登半島地震も
卵が採れたら人工孵化させ、稚魚を育てていきます。しかし、浮力調整の器官である浮袋が肥大化するガス病によって大半の稚魚が衰弱死し、孵化後の生存率は0.1%未満になってしまいました。
「卵からの飼育は手探り状態でした。マダイやブリを完全養殖した際の知識を生かして工夫しましたが、困難が続きました。でも、試行錯誤の末に、水槽内の酸素量を過飽和状態に維持することで、ガス病の発生を抑えることに成功しました」
生存率が20〜30%と飛躍的に上昇し、ノドグロの完全養殖に向けて明るい光が差し込んだ矢先の24年1月1日。能登半島地震が発生し、ノドグロの研究を行っていた富山実験場(富山県射水市)も甚大な被害を受けました。家戸教授は白浜実験場のある和歌山県白浜町からただちに駆けつけましたが、富山実験場内の水槽は激しい揺れによって、水と魚たちが水槽の外に飛び出していました。海水を汲み上げて水槽まで運ぶための配管も損傷が激しく、水槽に海水を供給できなくなっていました。
「停電で酸素の供給も止まっていました。何とか配管をつないで復旧させましたが、実験場が埋め立て地にあったために液状化現象が発生して地盤沈下が起こり、また配管が損傷してしまうこともありました。それでも生き残った魚たちを集め、何とか飼育を再開しました」
世界で初めてノドグロの完全養殖に成功したのは、そこから約1年10カ月後の25年10月でした。
「卵からかえっても稚魚に餌を食べてもらうのは難しく、人工飼育下だと成長が遅いという課題も残っています。また、人工孵化させた稚魚は90%以上がオスになってしまいますが、その原因も明らかになっていません。さらには、それなりに成長しても自然に産卵しないため、ホルモン投与で産卵を促す必要もあるなど、課題はまだまだたくさんあります。でも、ようやく完全養殖までたどり着くことができました」

ノドグロの養殖業者が稚魚を大きく育てる流れが確立し、一般家庭の食卓に並ぶのは2030年頃になりそうですが、富山実験場の水槽で誕生してから約3年が経過したノドグロは、26年2月から、近畿大学産の養殖魚を提供する「近畿大学水産研究所」銀座店と大阪店で味わうことができます(ノドグロの提供がない日もあります)。
「まだ小ぶりですが、脂が乗っていて味は申し分ありません。味をよくするための工夫はしていませんので、食材としてのポテンシャルの高さを感じています。研究の最終目的は食べることですから、多くの人に食べてもらい、美味しいと言ってもらえたらうれしいです」
「完全養殖」の利益を研究費に
近畿大学水産研究所は、なぜ近大マグロや近大ノドグロのような世界初の研究成果を出すことができるのでしょうか。家戸教授は、研究所設立当時の世耕弘一・初代総長の理念が大きく影響していると考えています。
「研究所ができた当初から、完全養殖を目指してきたからです。世界の漁獲量は1990年代には頭打ちになり、減少傾向にありますが、養殖生産量は増加を続けています。現在は漁獲量よりも養殖生産量の方が多いですし、安定供給できる養殖が確立されれば、食料難にも備えることができます。また、天然の資源に手を加えることなく、品種改良を行うこともできます。完全養殖の研究はそれだけ重要な意味があるのです」
近畿大学では、研究所内で試験的に養殖を行うだけにとどまらず、養殖した魚を市場に卸したり、完全養殖で育てた稚魚を養殖業者に販売したりしてきました。こうして得られた利益が研究費や、研究所内で飼育される魚の餌代などに使われています。
「市場で売れるためには、いいものを作る必要があります。実験に成功して終わりではなく、初めから状態のいい稚魚を作ることを目標にしているので、『世界初』などの結果につながっていったのではないでしょうか」
「養殖で一儲け」を狙って
家戸教授は、近畿大学農学部水産学科、同大学院農学研究科修士課程を経て、30年近く、マダイを中心とした海水魚の養殖研究に携わってきました。

「高校時代は生物が得意だったので、自分は農学系がいいだろうと思いました。僕が高校3年だった1985年当時、日本はバブル景気で上向きでした。近畿大学が養殖の研究をしていることは知っていたので、水産や養殖について学べば、養殖で一儲けできるようになるんじゃないかと、近畿大学農学部水産学科への進学を決めました(笑)」
近畿大学水産研究所では、水産学科の学生が養殖の現場に携わります。家戸教授も飼育や研究を続けるうちに、生き物を育てる面白さに魅了されました。
「何百キロもあるマグロでも、卵は1ミリぐらいです。そんな小さな卵を孵化させて稚魚を大きくしていくためには工夫が必要で、それがとても面白いのです。もし生き物に興味を持っている高校生や学生がいたら、実用的な農学と、生き物の生態のどちらに興味があるか、性格的にどちらが向いていそうかを考えるといいかもしれません」
家戸教授は、近大ノドグロの完全養殖の拡充をしつつ、飼育や繁殖が難しいアナゴやハモの研究にも取り組んでいます。
「アナゴもハモも関西では名物ですが、漁獲量が激減しています。漁ができなくなれば漁師さんの仕事がなくなり、伝統的な関西の食文化も消えてしまうかもしれません。アナゴやハモは卵から孵化できても、生まれたばかりの仔魚に餌を食べさせるのが難しいのですが、試行錯誤を続けたいと思っています。養殖には、希少な魚でも安定的、計画的に出荷でき、高い鮮度を保ったまま届けられるというメリットがあります。今後もこうした研究を続けていきたいと思っています」
(文=𠮷川明子)
【写真】近畿大がノドグロの完全養殖に成功 10年の挫折と能登半島地震を乗り越え実現
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